私の友達で非常にピュアで人を疑ったりしない友人がいます。悪口とかあまり言わず、いつも褒めてくれてそれが本心で言ってるんだなぁと思うと嬉しくなるのですが少し心配にもなります。
彼女は真っ直ぐに人のことを見るのでいいところをしっかりとみてくれます。信頼している人の発言をちゃんと受け止めるのです。だから損することって多いのではないかなと思ったので、今日はそのことについて考えてみました。
信頼するというのは自分自身を信頼するということが根本だと思う
私は比較的相手を信頼することが少ないのかもと思ったことがあります。それは私の友人はすごく人を信用し信頼できる人だから。ランチに行ったりカフェに行ったりするとすごく彼女の真っ直ぐさが伝わってきます。おそらく人を信じられるような育ちをしてきたのだろうなとも思うのです。みんなに守られながらの環境にずっといたのだろうなと滲み出る人柄からそう思うのです。
ただ、彼女は人を信じることで多くの傷を追っている事も確かです。彼女は無条件で信じ、信じた人の言動を疑わないので思い返せば怪しかったかも!と何かが起きた後で気が付き傷ついている姿をみてきました。(友達としては傷つく友人をみたくない・・・)
人は自分の価値観を「普通」と思ってしまいがちなところはあるのだと思います。それが強ければ強い程、他者の別の意見をなかなか受け入れづらくなるのではと思います。比較的人を信じてしまうという人は、「普通」と思っている自分の価値観が強く、相手もそう考えている!と思うのかも。
逆に、人を疑う(私のようなもの)は「腹の中ではどう思っているか分からないけど」という前置きが発生します。それを前提に置くことで自分が傷つくことへの予防線を張っているのかもしれません。(できるだけ傷つきたくない・・・切実)
信頼している友人や仕事仲間は私の周りにはいるのですが、相手がどう感じているかとかまでは分からないので「私が信頼している人」であればもしその人が私のことを信頼していなくても、そこは関係ないのです。自分がそう思っているから相手もそうだろう。というのは多分100%一致しなくて、相手がどう思っているのかなんて分からない。わかることは自分が相手をどう想っているかだけだと思うんです。
だから相手に価値観や想いを共有しようとするのは、自分よがりなのかもしれないと思いました。信頼するという言葉は相手ありきに使っていたのですが、実はそうではなく自分自身の判断を信頼することが一番大切だと私は思うわけです。
それならいくら傷ついても相手を責めることが少なくなるのではと思います。
だから「損」してしまう
自分ではなく相手に信頼を委ねるということは、楽なことかもしれません。「信じていたのに」と相手の責任に知らずうちにできるから。だからその負のスパイラルを断つために相手に素直になるよりも自分に一番素直になるのがいい流れになると思うのです。
自分の身の回りに起こることは全て自分の責任だと考える方が、そうならないように注意して相手と付き合ったり、信頼すべき話かどうかを見極めるには一番。この人を信頼してもいいのか?をまず自分に問いてみる、そこで決めたことは、その時点で自分の責任だと思うわけです。相手のしたことに腹が立つこともあるし理不尽な言い分を突き出されたら嫌な気持ちにもなることだって多々あります。
でも自分で決められる人は相手を責めず、自分と向き合うことを大切にしています。もっと自分に素直に生きていく方がいいし、自分は後回しで相手にだけ素直になるのは、生きていく上でもリスクがあり「損」だと思うことが多くなる気がします。
だから他人に素直すぎるいい人は、信頼していた人に裏切られたときや相手と気持ちが通わなくなったとき、行き着く島をなくしてしまう可能性がありとても生きづらいのではないかなと私は思いました。
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